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化粧品の旅!日本の美容の歴史と伝統

おはようございます。創業65年基礎化粧品一筋のローザ特殊化粧料(rosa603special)は、東京都東久留米市で一貫製造しています。私、試作開発のSでございます。
7月7日本日は七夕ですね。短冊に願い事を書いて笹に飾る習わしは、誰もが一度は経験したことがあるものではないでしょか。
七夕にまつわる伝説というと、織姫と彦星が登場する物語が知られていますが、これは中国が起源であり、奈良時代に伝わったそうです。
そこで、今回は化粧品の起源をご紹介します。化粧品は何時代に始まり、どこから伝わったのか?日本で初めての化粧品はなにか?皆さんはご存知でしょうか。
【縄文〜古墳時代】
日本で最初に「メイク」が文化として浸透した時代は縄文〜古墳時代だと言われています。その頃のメイクは、目や口、体に『赤』色で模様を描くというものでした。赤色は当時の人々にとってパワーの象徴であり、顔や体に塗ることで悪霊や災いを防ぐ魔除けとして使われたそうです。
【飛鳥〜奈良時代】
この頃、遣隋使が持ち帰ったお土産のなかに『おしろい』や『紅』などがあり、大陸を越えてやってきました。これら化粧品は日本人を魅了し、日本のメイクは赤色の塗料から化粧品を使ったメイクへ大きな変化を遂げることになります。
さらに同じ頃、カラフルな色で額や口元に花や星を描く、唐(現在の中国)のメイク方法が流行したそうです。自分をより魅力的に見せることを目的としたメイクが始まったのがこの時代でした。
【平安時代】
遣唐使を廃止後、他国の文化を真似するのではなく日本独自のメイク文化が始まりました。基本は白粉と紅での白化粧ですが、これに加え歯を墨で塗る『お歯黒』と、元の眉をそって理想の形を墨で描く『引き眉メイク』が貴族の間で浸透していきました。
この時代の美しさの基準は、長くしなやかな黒髪・ふっくらとした頬・きめ細かい色白の肌でした。特に肌の白さは美人の絶対条件とされ、女性は白粉をたくさん塗ることで美しさを表現していたそうです。
【鎌倉時代】
私たちにとってほぼ毎日の習慣である入浴や髪をとかすことは、平安時代までの日本では、どちらも年に数回程度だったそうです。しかし、鎌倉時代からは髪をとかすことが3日に1回になり、入浴も5日に1回程度に増えました。顔や体を洗う習慣ができたことにより人々は『スキンケア』で肌の手入れをするようになりました。
【室町時代・安土桃山時代~江戸時代】
これまで、上流階級の女性のみが可能だったメイクが一般市民に広がるように。「引き眉メイク」から自分の眉を残し、眉毛を抜かずに整えるメイクに変わっていきました。それに伴って白粉は薄く、紅も控えめになっていきました。
【明治時代〜現代】
明治以降、社会の急速な近代化とともにメイクも発達。昭和30年頃に『ファンデーション』が発売されたことをきっかけに、徐々に世界中でメイクの方法が統一されていき、誰もがメイクを楽しむ時代へと変わりました。
美しさの象徴であるメイクの始まりが、呪術としてのメイクだったことに驚きでした。時代の変化によってメイクの意味合い、メイク道具や方法も変化していきましたが、いつの時代の女性も美しくありたいという気持ちに変わりはないことが伺えますね。

▲化粧品の旅!日本の美容の歴史と伝統 

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